週末には横浜の自宅から電車とバスを乗り継いで二時間、中央線の蒔野駅からさらに入った山間の畑に通い始めてもう四年になる。川口由一さんの一年を追いかけてつくられた映画『自然農』を観て、急に本格的な由然農をやりた〈なり、翌週には瀬野に…導かれるようにして向かった。
そして素晴らしく眺望の良い柵に巡りあって以来、今日にいたつている。
 今では地元に親しい友達も何人かできて、畑にもよく遊びに釆てくれる。小さいながらもログ風の作業小屋も造リ、季節の良いときは泊まり込みで自然農を満喫している。四一撃を通して楽しんでいるが、とりわけ、春先から新緑の季節は野の花、野鳥、蝶や虫たちの生命の饗宴を目の当たりにし、さながら楽園にいるかのごとくである。
 耕さず、肥料もやらず、雑草も共生。手もかからず、何ょりも楽しい、まさに楽農の実践である。一通りの農具は揃っているが、実際に使用するのはほと
ある。樋力、在来種の棟をまき、寧が伸びたら周りを刈ってその場に置いておき、後は収穫するのみである。当然、収穫物は多くなく、全般に小ぶりであるが、そこは自然の恵み、味は良く、安心そのものである。
 その上、まわりで作物以上に自然からの収穫物がどつさりいただける。春先からのカンゾウ、ノビル、ツタシ、ヨモギ、アカザなどの野他早たち、ワラビ、タラの穿の山菜、箭も食べきれないほどに、秋には架、クルミ、キノコ顆と食点Tを賑わしてくれている。タンポポの根もきんぴらにするとほろ苦いが、い洒の肴にもおいしく、その後身体が沖化される感である。農家の皆さんが日の敵にするスギナもカルシウムはほうれん申の一〇〇倍逝く、干してお茶や粉末にしてぶりかけやパンケーキにも利府できる。
 このように少し勉強すると、大半の野柵早が食べられるだけでなく、さまざまな病気を治す力をもっていることがわかる。医食同瀕の世界であり、しかも全部無償の恵みである。何ともありがたいことである。
 本来、自然界は私たちに必要なものを全郡用意しておいてくれたのではないだろうか。人工的な、お金に翻弄された現代文明にどつぶり漫っていると、およそそのようには感じられないのだろうが……。
 畑に身をおいて、気づいたことは自然界のあまりにも単純で見事な仕組みである。多種多様な、あふれんばかりの生命を産み、育んでいるシステムがたった四つの要素から成り立っているに過ぎない。大地・水・空気・太陽光  これですべてであり、私は生命維持システムと称している。この四要素から、微生物、櫓物、小動物、大きな動物、そして人間をも食物遭鎚を通じ、見事なまでに複雑性、多様性、括らぎはあるものの絶妙なバランスを成り立たせている。
 この生命維持システムが健全で、安泰なれば何千万種もの生きとし生ける生命が絶えることなく、何千年、否何方年でも持続できるのであろ、つ。まさに、“生命の打ちでの小槌”であり、”生命の根源”である。その生命の根瀬がいまや私たちの経済活動や文明により危うくくなつつつある。地球環境問題の本質はまさにここにある。
 いまや地球全体で六〇億を超える人口爆発である。これだけでも地球生態系のバランスをこわしているのであろうに、より豊かな社会を求めて、世界中が経済成長を最優先の目標に邁進しており、生命維持システムは複合的に悪化するばかりである。
農薬、化学肥料ほか多種多様な化学物質にさり大地も水も限りなく汚染され、空気も車社会や工場排気により汚染はさらに進み、オゾン層の破壊により有害紫外線が増大し日光浴も安心できない状況である。
 環境が悪化すると社会も荒んでくるように、とみにお金のために凶悪犯罪が増大している。
自分の命は何より大切でも、他人の命よりお金の方が大切と思つているのであろう。 しかし、自らの命も寿命がくれば果てるのである。どんなに長寿になってもせいぜい一〇〇歳であり、これも自然界の摺理である。
 地球の生命維持システムが壊れたら、すべての生命は終わりである。連綿と続いてきた生命の連鎖が途切れてしまう。逆に、生命維持システムが安泰ならば、これからも絶えることなく生命の連鎖が続き、ひとり一人の子孫・末代までつながっていくのである。
 こうしてみると、何が一d番大切か自ずと分かるのではないだろうか。”ひとり一人の生命よりも地域の生命維持システムの方が大切である”と。
 私たちは命をかけてもこの生命維持システムを良好な状態で後世につないでいく義務があるのではないだろうか。子や孫たちにお金や財産を残すのでなく、生命あムれる地域の生命維持システムを残そうではないか。そのために、私は自らの命をかけても惜しくないと思っているこの一頃である。

久保田忠夫(くぼた・ただお)
1947年生まれ。1970年京都大学経済学部卒業後、NECに入社。以来、通信機器のマーケティング、OA製品の販売促進、大手建設業界へのセールスなどを経験。1987年東京支社販売促進部長、1990年国内販売推進部長代理を務める。
 このころより新しい価値観、健康法、環境問題を追求する。1997年から神奈川県の最北部の藤野町に300坪の畑を借り、週末は自然農(楽農)を実践しており、あまりにも行きすぎた現代文明に自然からのメッセージとライフスタイルの転換を発信。2000年環境推進部長となる。NPO法人公共政策センター参事・水と食の健康法クラブ理事・銀座駅前大学常任講師。

 久保田さんは、97年秋、送られてきたパンフレットの中に入っていた一枚のチラシに目がいった。それは、川口由一さんという奈良県桜井市で不耕起栽培の農業に取り組んでいる農家の記録映画の案内だった。
 不耕起栽培とは、文字通り、わずかに土を耕すだけで米や野菜を作る農法で、徐々に農家の間にも広がっている。
「この農法では、農薬もやらなければ、化学肥料とも無縁。栽培の知識もほとんどいらない。適当な時期に種や苗を植えるだけで、それ以降、植物はほとんど人間の手を惜りずに立派に育つんです」
 無農薬有機農法よりも徹底した自然農法で、自然の力の素晴らしさを教えてくれるものとして静かな広がりをみせている。久保印さんは、この記録映画を見てから一週間のうちに行動を起こす。
「秋の休日の朝、自宅のあるJRの駅の電車の時刻表を見ていて、中央線の高尾の先に『藤野』という駅があることに目が止まった。そのときはむろん、そこがどういう所なのかまったく知りませんでした。でも、なぜか、ここだという気になったんです」
 神余川県藤野町は、近辺では芸術家村のある町として知られているが、町内の多くは山林で平地はごくわずかしかない。横浜に住む久保田さんにしてみれば、まったくの別世界であった。電車を乗り継いで、わずか2時間でこんな別世界に来られることに驚いた。
 藤野駅に着くと、進行方向右手に山が迫っていた。
「学生時代、よく山に登ったので自然と足はそちらへ向かいました。歩くこと約30分。道端で農作業をしていた地元の人に、この辺りに貸してくれるような農地がないか聞いて案内されたのが、現在の畑でした」

不耕起栽培で50種類の野菜を作る

 久保田さんが借りることができたのは、標高約400mの高さにある300坪の荒れた畑だった。地主さんが「このままでいいんだったら使ってください」ということで借りることになった。畑からは、晴れれば遠くの丹沢が望める。
「自然農法がやりたかったので、そのテストケースとして、このロケーションは申し分なかったんですね。
98年春からは、出張などの所用があ
るときを除いて、シーズン中の休日は必ず、この畑に通っています」
 現在、栽培しているのは約200坪。春夏、秋冬と大きく分けて、年間約50種類の野菜を作っている。春夏ならば、キュウリ、トマト、ナス、ウリ、スイカ、ジャガイモ、ピーナッツ、インゲン、メロン、ニンジン、ダイコン、カブ、レタス、サラダ菜などである。関東地方で作れるものは、すべて作れる。不耕起栽培なので収穫量は多くはないものの、その味は慣行農法(農薬や化学肥料を使った農法)ではとうてい味わえないおいしさに自然が育ててくれる。もちろん、4人家族には余ってしまうほどとれる。それにここでは、はとんどの雑草といわれる草が食べられることを教わった。
「ここへ来ると、お金がなくとも、人間の知恵と労働力さえあれば、何でもできるのではないかと考えることがあります」
 季節がよくなると、3坪の作業小屋に泊まって、次の日の昼ごろまで畑にいる。
「ここに立っていると、より一層、楽農に生きようと。いずれリタイアしたら、水の湧いているところで、米をつくつてみたい。団塊の世代として新しいライフスタイルのモデルになれればとも思っています」

環境問一題こそ自分の使命

 久保倒さんは95年7月、退社覚悟でそれまでの営業職から現在の環境部門への異動を会社に申し入れた。
「その当時は、いろいろ言われましたけど、最近では、先見の明があったね、なんて言われています」
 そもそも環境に興味をもったのは、10年以上もさかのぼるが、それまでは「近代合理主義者」だった。それが環境部門へ異動を希望する頃には、「価値観が変わり、ライフスタイルが変わっていきました。人間てすごく変われるんだ」と妻の滋子さんが驚くほどの変わりよう。
 現在の部署では、会社の事業全体をより環境に目の向いたものとするための活動に取り組んでいる。たとえば、全製品の環境配慮型への転換を促すために、経営幹部2500人に「環境ナビ」というeメールを定期的に送りつづけている。
「畑に来ると、草の上に寝ころぶ。
すると大地のエネルギーを全身で受け取るようで気持ちがいいんです。今、環境問題をめぐる動きがあちこちで活発になっている。週に一度、畑に立っていると、これからの10年、いろんな変化があって面白くなりそうだという予感がありますね」

記事転載 オブラ 2001No.4(8月号) 講談社

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